錦帯橋の南側、今も町家の面影が残る町並みがあります。ここは、江戸時代、岩国藩初代藩主吉川広家が行った町割りによってつくられた町並み。碁盤の目のように整備された通りにはそれぞれ「玖珂町」「柳井町」「米屋町」「塩町」「材木町」「魚町」「登冨町」とつけられ、それらを合わせて「岩国七町」と呼ばれました。

明治19年発行「豪商早見便覧」

 

「本家 松がね」は、1850(嘉永3年)頃に建てられた、岩国を代表する商家。江戸時代、岩国の有力商家が集まっていた玖珂町にあり、鬢付け油「松金油」の製造販売を行っていた「松金屋」として栄えていました。
松金油は「梅が香」「蘭の雫」の商品名で販売され、吉川氏が江戸に行ったときには諸大名への贈答品としても使われたと言われています。
諸大名や幕府の役人が錦帯橋見物をした際には、休憩所としても使われており、武士や商人で賑わっていました。岩国の名産品として全国に知れ渡った松金油。岩国に縁のある歌人香川景樹に「松が根のまくらにかをる梅が香はやがて都のかざしなりけり」と詠われ、都(京都)まで知られるようになったことがわかります。


昭和初期に、この建物は國安家の所有となりました。國安家は醤油製造を営み、自社醤油の商標を「松ヶ枝(まつがえ)」と命名。これは、松根樹脂から発明された松金油にあやかり名付けられました。それほど、松金油は名高いブランド品であったといえます。
松金屋が築いてきた財力によって建てられ、今もその豪壮な姿をそのまま残す建物は、2000(平成12年)「國安家住宅」として有形文化財に登録されました。
2017年(平成29年)3月、登録有形文化財國安住宅を守り、地域の資産として活かすため、観光客や地域住民が気軽に憩い、交流を深める施設「本家 松がね」としてオープンしました。

松がね 館内見取り図